更新日:2020年2月26日
簗瀬 晃希 先日、紫牟田伸子先生のお話の中で、 非常に印象に残るワードがありました。
紫牟田先生は、「美術手帖」の副編集長を務め、 日本デザインセンターにて「ものごとの編集」を軸に、 様々なデザイン、プロデュース活動を行った後、 現在は独立し、活躍されています。
今回は紫牟田先生の授業の中で特に印象に残っている シビックプライドのことについて共有させていただきたいと思います。
それではさっそく、、、
「シビックプライド」
簡潔に言うと、都市に対する市民の誇りを指す言葉です。
日本語にも「郷土愛」などと言う言葉がありますが、
ただ単に地域に対する愛着を持つ、ということではなく、
個人が権利と義務を持ち、主体的に地域を愛する
というようなニュアンスが込められています。
そして、世界各国の街では、 シビックプライドを高めることを目的とした、様々な活動が行われているといいます。
オランダの首都、アムステルダムでは、「I amsterdam」というロゴを中心に 市民のシビックプライドを高めるためのキャンペーンが行われています。
(NYにある「I ♡NY」もそのような活動から生まれたロゴのひとつです。)
私はアムステルダム。
一人ひとりがアムステルダムの市民であり、 アムステルダムとしての誇りを持つことが目的です。
活動の一つとして、様々なカメラマンから見たアムステルダムの街を写真に収め、 街のプロモーションビデオを作成するというようなことがあります。
このプロモーションビデオは、異性愛者だけでなく、 同性愛者同士の家族のカタチや、国籍にとらわれない家族のカタチ、 宗教にとらわれない家族のカタチ、
多様な家族の写真とともに、「I amsterdam」というロゴが並べられた ビデオの内容となっています。
アムステルダムという様々な文化を受け入れようとする街ならではの プロモーションビデオです。
この活動は、ただ単にアムステルダムの街のイメージを 表面上だけ良くしようというものではありません。
街が良くなる為には、街に住む人々の意識自体を より高めていく必要がある、ということが「シビックプライド」の本来の目的です。
そしてこのような考えは、「同調」や「批判」「エゴイズム」とは、 真逆の考え方なのだと言います。
例えば、どこかの地域で大雨による断水が起きたとします。 そのような中、プールに行って遊んでいるヒトがいる。
「こんなに困っているヒトがいるのにプールで遊ぶなんて不謹慎だ! ねぇ、みんなそう思わない??」
というようなを意見を皆さんはどう感じるでしょう?
これは「同調」に対する正義感のようなものが根本にはあり、 誰かの目を気にした意見です。
ですが、シビックプライドを高めるということはそうではありません。
「ぼくはプールに遊びにいくよ。だってそうすることで 誰かが不幸せになるわけではないでしょ?
だけどもし、水がなくて困っているヒトがいれば、 ぼくはその人に水を差し出すし、助けになるよ。」
このような意見は、誰かの目を気にした意見ではないように感じます。
自分の発する言葉や行動、それらの判断基準が、
外ではなく内に存在しています。
誰かの目を気にして発した言葉、移した行動。
そこには必ず、「客観」という軸が生まれ、 物事の判断基準となります。
もちろんそのような客観視というものは、 生きていく上では大切にしなければならない時もあります。
ですが、そこに自分自身の意思があるか、ないのかでは 一つの行動、発言の価値は大きく変わってくると感じています。
シビックプライドを高める、ということは、
みんなにyesと言ってもらえるような、言動をとることではなく、
自分自身が一人の市民として、一人の人間として どう生きていくのか、という意思を持って 物事を考えるということなのだと感じています。
そして、そのような意識は、 決して誰かに無理やり強制されるべきものではありません。
どこかで政治家が、
「さぁ、皆さん!シビックプライドを高めて、 より良い街にしていきましょう!!」
というようなことを言っているとすれば、それは元も子もないものです。
街をよくする為にそのような考えを強制する、
ということはあくまで客観を軸とした考えを抜けきれていないからです。
別に街がどうだとか、都市をよりよくだとか、 そんなことは本当にどうでも良くて、
自分自身がどう行動するのか、 何を思って、何を目指していきていくのか、
一人一人の人間が、一人の人間としての 「プライド」を持っていきていく。
その結果、街が、都市がより良いものになっていく。
そのような流れこそが、 シビックプライドという考え方の 根本にはあるべきだと感じています。
都市はビルや住宅などの建築で成り立っているようにも 思われますが、それよりももっと近くにいるのは、ぼくたち「人」です。
そこで生きる人々が街となり、表情となる。
だからこそ、今の日本ではそのような考え方が とても大切なようにも感じています、、、。
ということで今回は、デザイン論の授業を通して感じたことを、
アムステルダムの街を事例として共有させていただきました。
このような活動を行なっている街は、世界中にまだまだたくさんあるといいます。
そのことに関してもまた、文章にさせていただきたいと思っています。
まだまだぼく自身、理解不足なこともあって 読みづらい文章になってしまったかもしれませんが、、、
街をより良くする為に、 社会をより良くする為に、
デザインに何ができるのか、
また、デザインに何が必要なのか。
今後も考え続けたいと思います。
それでは、本日も最後までお付き合い ありがとうございました!!