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  • 執筆者の写真kuroko

無印良品は、なぜ無印良品なのか。




はじめまして、こんばんは。

枯葉の簗瀬(やなせ)と申します。


ここでは、今私が気なっていること、興味のあることを、ただただ思いのままに、書きつづらせていただきたいと思います…


ではさっそく、


無印良品。


というとシンプルで、無駄がなく、普通の、、、

といったイメージを持たれる方が多いのではないでしょうか?


そこで今回は今でこそ、消費者にとって「当たり前の存在」となっている無印良品が、

なぜそうなることができているのか、なぜ無印良品は無印良品であり続けることができるのか、1冊の本を読んで感じたことを、微力ながら共有させていただきたいと思います。


無印良品がうまれたわけ、というのもすごくおもしろいのですが今回は割愛させていただきます。


無印良品の商品がなぜシンプルで、無駄がなく、今のようなカタチになっているのか。

そこには無印良品の思想の1つである、


「これがいい」ではなく「これでいい」


そのような消費者や商業に対する、無印良品の思いがカタチとなっているように感じています。


通常、商業やファッションでは個性や付加価値というものが非常に重要視されています。


特に、1980年代、高度経済成長期では「より高いものこそがより価値のあるもの」というような流れが主流となっていたといいます。


商品に対して付加価値与え続けることで、商品自体の価格を上げ、消費を促す。


そのような時代の中で無印良品は、モノそのものの本来の価値にスポットを当て続け商品を生み出してきました。


例えば自転車。


当時は子供の自転車にすら10段変速ギアや方向指示器、スピードメーターなどが搭載されており、大人用自転車もファッション自転車などという呼び名に人気が集まっていた時代だったそうです。


しかし、足がわりとしてみた時に自転車にはそんなに多くの機能、付加価値が必要であると言えるのでしょうか。


無印良品は自転車本来の価値にスポットを当て、座るためのサドル、道路を走るためのタイヤ、ベルやリフレクターなどの危険を避けるための機能だけを抽出して自転車を販売していました。


そしてそれ以上の機能が必要かどうかは、消費者本人が判断し、必要であれば取り付ける、というように消費者に判断を委ねることにしました。


このように「本体とパーツ」という物事の捉え方は、自転車に限らず、布団やベッド、ソファ、クッションでも同じことが言えるように感じています。


本当に必要な価値(本体)に必要以上の付加価値(パーツ)を消費者自身が選ぶことのできるスタイルというのは、当時では非常に画期的で、現代でこそその汎用性の高さは重要なスタイルのように感じています。


そういった汎用性を消費者に提供できるのは、無印良品が大切にしている、

「これがいい」ではなく、「これでいい」という

思想があるからこそ生まれたカタチなのかもしれません。


無印良品のことを調べれば調べるほど興味が湧いて、共有したいことはまだまだあるのですが、今回はこれまでとさせていただきます…


また勉強して気になったことを共有したいと思いますので、一緒に考えていただける場となれば光栄です…


最後に一つだけ。


シンプルで色のない商品を、自分が好きなように、自分が着たいように、使いたいように、そのモノと自分との無限に広がる可能性を模索するのはなんだかとっても楽しくて、ワクワクします…笑


参考:MUJIが生まれる「思考」と「言葉」 良品計画 著


簗瀬 晃希 / koki yanase

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